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2010年12月26日 (日)

農業後波と工業現波を比較する

この仮説はどこまで正しいのでしょうか。それを確かめるため、日本の人口波動の中から、農業後波(室町~江戸時代中期)と工業現波(天保~現代)の2つを比較してみましょう。図表Photo (人口データは古田隆彦著『日本人はどこまで減るか』) は両者を比べたものですが、勿論、人口の規模と時間の密度が違いますから、上下のグラフの縦横の尺度は変えてあります。そのうえで見比べてみると、2つの波動の形は大変よく似ています。だが、人口推移が似ているだけではありません。さらに注目すべきは、対応する社会現象も大変似ているということです。

農業後波は室町時代から、工業現波は江戸時代後期から、それぞれスタートしていますが、まずは相似点をざっと眺めてみましょう。

始動期

農業後波…守護大名から戦国大名へ、新たに勃興してきた地方領主層は、新しい開墾技術や集約的な農業技術を競って採り入れ、各々の領地での農業生産の最大化と領民の増加をめざして、版図拡大を競ったため、戦国の動乱がはじまった。

工業現波…西南雄藩に代表される有力諸藩は、西欧の近代的な科学技術や経済制度を競って採り入れ、各々の領地での農業生産や経済活動の活性化と領民の増加をめざしたうえ、幕藩体制の改革を狙ったため、幕末の動乱がはじまった。

離陸期

農業後波…多くの戦国大名の中から徳川家康が抜け出し、関ケ原の合戦で戦国時代に終止符を打った結果、社会が安定し、集約農業技術が全国に広がって、人口が急増に移った。

工業現波…幕末の動乱の中から薩長土肥の四藩が抜け出し、徳川幕府を倒して明治政府を樹立した結果、社会が安定し、西欧型の農業技術や産業開発が全国に広がって、人口が急増に移った。

上昇期

農業後波…徳川幕府が急成長するのに伴って、外国との軋轢が高まり、ポルトガルやイスパニアを後ろ楯にしたキリシタン衆との間で、島原の乱が起きた。

工業現波…大日本帝国が急成長するのに伴って、外国との軋轢が高まり、アメリカやイギリスとの間で、太平洋戦争が起きた。

高揚期

農業後波…島原の乱の終結で、世の中が安定した結果、社会・経済も急拡大に移り、消費文化の花が開く「元禄」時代を迎えた。

工業現波…太平洋戦争の終結で、世の中が安定した結果、経済も高度成長に移り、消費文化の花が開く「昭和元禄」時代を迎えた。

飽和期

農業後波…集約農業社会の人口容量が飽和して人口はピークに達し、社会・経済にも停滞色が深まったため、八代将軍・徳川吉宗が「享保の改革」を実施した。

工業現波…近代工業文明の人口容量が飽和して人口はピークに達し、社会・経済にも停滞色が深まったため、自民党政権は次々に「平成の改革」を実施した。

下降期

農業後波…人口容量の制約で人口は約80年間減少し続けたが、その間に社会・経済は成熟し、江戸文化が爛熟した。

工業現波…人口容量の制約で人口は少なくとも50年間減少し続けたが、その間に社会・経済は成熟し、平成文化が爛熟していく(予測)。

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