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2010年12月22日 (水)

予測が的中した平成ムード

徳川吉宗が活躍した時代が「享保」です。元号が「昭和」から「平成」へと変わった平成元年(1989年)の秋、筆者はある新聞に「平成享保」と題するコラムを寄稿し、昭和に続く時代は、限りなく江戸時代の「享保」に近づく、と予測しました。すでに20余年が過ぎましたが、その要旨は次のようなものです。

日本の人口は今、大きな曲がり角にさしかかっており、あと20年後に人口の停滞する社会が迫っている。人口が伸びなければ、生活水準、消費水準が一定である限り、内需もまた全く伸びない時代になる。

そこで、1990年から2020年までの20年間は、約160年間続いてきた成長・拡大型の社会システムや生活様式を、飽和・安定型のそれへと移行させる一大転換期になるだろう

260年前に、同じような時代があった。江戸時代の人口は1710年頃から飽和しはじめ、その後1730年までの約20年間は成長から停滞への転換期となった。この時代を貫くテーマは、「放漫財政から緊縮財政へ」「金銀輸出から俵物(たわらもの=実物)輸出へ」「享楽主義から倹約主義へ」「好色文学から義理文学へ」など、それまでの水ぶくれ社会を、いかにしてスリムな社会に切り換えていくかとなった。

とすれば、1990年からの20年間も同じように「調整の時代」となり、成長・拡大の絶頂期であった「昭和・元禄」にならって、「平成・享保」とでもよばれることになろう。(某新聞・1989年9月18日夕刊・古田隆彦寄稿)

「平成享保」という造語は、このコラムから生まれ、その年の新語大賞にもノミネートされました。いうまでもなく。「平成享保」は「昭和元禄」の続編です。1964(昭和39)年、過剰消費に浮かれる、当時の世相を、後に総理大臣になった福田赳夫は「昭和元禄」と名づけました。この表現を継承して、筆者はポスト昭和を「平成享保」と命名したのです。

1989年といえば、平均株価が3万8915円(12月29日)と、史上最高となった年です。いわゆるバブル経済が絶頂に達し、経済学者や評論家のほとんどが「日本経済はこのまま拡大を続ける」と口々に唱えていた頃です。

このためか、掲載された直後から「平成享保にはならない」とか「平成享保にしてはいけない」などの批判もありましたが、その後の社会は、ほぼこの見通し通りに動いています。とりわけ「成長・拡大型から飽和・安定型へ」をキーワードに、「放漫財政から緊縮財政へ」とか「享楽主義から倹約主義へ」と見通した展望は、この20余年の社会・経済を確かに予言していたと自負しています。

ただ一つ、前提にした人口予測(厚生省人口問題研究所・1986年12月推計)はやや甘かったようで、日本の総人口は5年ほど早まり、2005五年から減少に転じています。だが、人口が増加から減少に転ずれば、社会・経済もまた成長・拡大型から飽和・成熟型へ移行していく、という基調を変える必要はまったくなかったようです。

なぜこれほど的中したのでしょうか。この予測は、私の提唱する「人口波動説」を初めて未来予測に応用したものですが、ここまで当たったことで、その正当性がそれなりに実証されたと思っています。

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