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2010年12月29日 (水)

人口容量が飽和した時代

繰り返しますが、2つの時期は両方とも、日本の人口が増加から停滞へと向かいはじめた転換期です。なぜ人口が停滞したかといえば、それぞれの時代を支える人口容量が飽和したからです。

元禄末期でいえば、当時の生産力を象徴する耕地面積が、約300万町歩でピークに達し、以後は伸び悩んでいます。150年後の幕末を100とした時、この時期までに耕地面積で92%、生産石高で70%にも達していました。当時の開墾技術や農業技術がほぼ限界に達したからです。それゆえ、元禄末期~享保初期は、農業生産の限界化に伴って、成長・拡大型社会から飽和・濃縮型社会への一大転換期となったのです。

同様に昭和末期~平成初期にも、幕末以来、近代日本の人口容量をひたすら拡大させてきた近代工業文明が、徐々に限界に近づいていました。なぜなら、現代日本の人口容量を支える基本的な条件に、環境問題、技術停滞、貿易摩擦などでさまざまな制約が増加しているからです。さらには2章で詳しく述べるように、近代工業国家の前提であった「工業製品高・農業産品安」という国際的な構造が崩れ、「工業製品安・農業産品高」という構造も進んでいます。それゆえ、現代日本もまた、成長・拡大型社会から飽和・濃縮型社会へと急速に転換をはじめているのです。

このように、2つの時期はともに人口が人口容量の上限に差しかかった時代です。つまり、1つの時代が人口波動の上で、同じような位置にくると、同じような事象が起こるのです。時代が大きく異なり、1つ1つの事件は違っていても、その背後に流れる社会構造が酷似してくるからです。

いかがでしょうか。人口波動法の根拠となる時代の相似性をある程度わかっていただけたでしょうか。この章の初めにあげた「平成享保」の予測はこうした方法を用いたものです。その結果、バブル崩壊後の20余年の世相がほぼ当たりました。

とすれば、今後2.30年後の世の中もまた見通せるのではないでしょうか。以下の各章では、平成享保時代を振り返りつつ、それを基盤にしてその後の日本、2020年代までの日本を、大胆に展望してみましょう。

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