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2011年4月

2011年4月28日 (木)

第8政策=地方・地域を再建する

第8は地方・地域の再建策でした。2020年代に入ると、総人口はピーク時の5~10%ほど減り、沖縄県を除くすべての都道府県で減少しました。

こうなった以上、いずれの都道府県にも、人口減少がもたらすマイナス面を克服し、さらにはプラスに変えるといった、逆転の発想が求められます。例えば平均年齢の上昇を積極的に受けとめる生活様式や、地価の低下や宅地のゆとりを大胆に活用する都市政策など、人口減少がもたらす利点を積極的に活用する地域作りが必要になったのです。

そこで、新田沼政権は、公共的な地域行政はもとより、民間部門の都市開発、住環境整備、生活支援などにも、思い切った政策転換を求めました。その目標の中核は、①人口減少地域の安定化、②地域生産力の維持、③地域需要の維持の3つでした。

第1の人口減少地域の安定化では、「人口が減っても快適で充実した暮らしが可能な地域社会」を実現するため、取り組むべき課題を改めて明確化しました。

 例えば、労働力減少や老齢化による生産力の低下、消費人口減少による商業・サービス業の衰退などの産業面、税収減少、過疎地拡大、公的生活支援サービスの縮小などの地域経営面、若年層減少、友人や競争相手の減少、コミュニティーの縮小、防災・防犯力の縮小などの生活面です。

そのうえで、新田沼政権は、巡回市場や巡回介護などの新制度を新設し、地域社会やコミュニティーを維持する、基礎的な対応を行ないました。また公的部門、民間部門、NPO、地域コミュニティーなどの役割分担を明確にしたうえで、需給両面からそれぞれの組織の取り組むべき課題を抽出し、多様な対応戦略を指導しました。

第2の地域生産力の維持では、生産人口の減少や老齢化による労働力の劣化に対応して、まずは労働生産性の維持・向上に努めました。地域内の企業や団体に対して、ロボットやFA、パソコンやOAなどの最新機器の導入を支援するとともに、従業員や未雇用者のオペレーション能力の教育・指導サービスを強力に実施しました。

また、新たな値打ちを持った商品やサービスを創り出せる創造生産性の開発・向上をめざして、カラー、デザイン、ブランド、ネーミング、ストーリーなどの創作能力はもとより、新たなライフスタイルや生活価値観を生み出せるような教育指導機関を、民間部門やNPOなどにもよびかけて、都道府県ごとに新設しました。

これら2つの生産性向上対策は、地域労働力の質的水準を維持しただけでなく、中堅・中小企業、地場産業企業、地元密着型の生活サービス企業などが、それぞれの生産力や商品企画力を向上させ、雇用力を維持・拡大していくうえでも、大きな役割を果たしました。

第3の地域需要の維持では、地域密着企業としての優位性を活かして、人口減少地域から新たに発生してくる生活需要や心理需要をきめ細かく汲み上げ、人口増加時代とは異なる対応方法を創出したうえで、全国的に波及させました。

例えば、少産化に伴う新需要(育児知識の伝達を求める声やベビーシッター、育児支援サービスの充実など)、長寿化で広がる新需要(家事・買い物代行、食事宅配、在宅介護など)、家族の縮小や多様化が引き起こす新需要(住居の小型化、ハウスシェアリングやコレクティブハウスなど新居住方式への需要など)は、大型店や全国ネット企業の対応を越えるものでした。

 このため、家族経営企業や商店街、NPOや生活協同組合など、地域密着企業を中心とする、きめ細かな対応を促進しました。

以上の3つの政策によって、新田沼政権は、企業誘致や補助金支援といった、従来型の地域産業振興を超えて、2020年代にふさわしい地域生産力の充実に努めました。

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2011年4月27日 (水)

第7政策=国際関係を見直す

第7の課題は、2020年代の国際環境を見据えて、外交・通商政策の基本的な方向を見直ことでした。新田沼政権は従来の対外政策を、次の3点で大きく変えました。

第1は「盲目的なグローバル化」信仰を見て、「是々非々的なグローバル化」へ転換したことでした。

従来の国際協調主義は、日本の国境を絶対視しつつも、どの国とも平等につきあうという、いわば「粗っぽい国際主義」でした。

しかし、第5政策で触れたように、2020年代の国際社会では、人口の爆発的な増加で食糧・資源・エネルギーが不足し、環境汚染もまた深刻化しました。このため、先進国、新興国を問わず、どの国も、国民の生活や自国の経済を守ろうと、それぞれの国境を強化して、食糧・資源・エネルギーの確保に向かいました。

日本もまた、農業国や資源保有国などと、工業製品や先端産業との補完的関係を求めて、新たな連携をめざしました。1つは東アジアの近隣諸国から大洋州までを含む環太平洋経済ブロックの組織化であり、もう1つは食糧・資源と製造業の蓄積を補完しあえるオセアニアや南米との連携強化でした。この意味で、その外交政策は「無制約国際化から選択的国際化へ」の転換といえるものでした。

第2は外国人常住者の増加政策でした。2020年代に入ると、全国の人口はピーク時の5~10%ほど減りましたから、生産力や内需を維持するために、可能な範囲で外国人の移民などを増加させる必要性が高まっていました。

そこで、新田沼政権は、とりあえず外国人常住者を増加させる政策に出ました。外国人常住者とは、日本に長期滞在したり、定住している外国人のことで、日本国籍を取得する移民の前段階にあたります。その数は、1980年代までは70~80万人でしたが、90年代初頭に100万人を越え、2000年には131万人、2005年に1561万人と急増し、2010年には約180万人と推定されます。

21世紀初頭の数カ年の年平均増加率は3.6%に達していましたから、新田沼政権はその増加率をその後も維持し、2020年に260万人、25年には310万人、30年に370万人にまで増やしました。

 総人口に占める比率は、2010年の1.5%から、20年2.1%、30年3.3%に上がりました。こうした政策によって、2040年代初頭までなんとか1億人規模の国家を維持し、日本なりの多民族国家の形成に着手しました。

第3は新たな国際分業産業の育成でした。人口が1割程度減ったとしても、1億人を超える国民を養っていくには、食糧や資源の輸入が必要ですから、少なくともその対価に相当する輸出品を創り出さなければなりません。

これについても、新田沼政権は、すでに第6政策で述べた、3つの方向を重視しました。つまり、ハイテク関連産業、人口減少対応産業、生活社会に対応する新心理産業の3産業です。

 これらの産業が生み出す新商品によって、国内市場を拡大するだけでなく、世界のライフスタイルをリードする、新たな輸出産業を創り出していきます。欧米先進国はもとより、アジアや南米などの新興国もまた人口減少社会や生活社会へ向かっていく以上、日本国内と同じような社会構造と生活需要が、やがては発生してくると的確に予想していたからです。


 以上の3政策によって、新田沼政権は2020年代の厳しい国際環境に果敢に対応していきました。

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2011年4月26日 (火)

第6政策=新しい産業を振興する

以上のような短期的な政策を打ったうえで、新田沼政権は第6の課題として、新たな産業の創造へ向かいました。

 長期的な内需の縮小や国際分業の進展に対応していくには、特定分野の集中的育成が必要でしたから、次の3つを重視しました。

第1はいうまでもなく、ハイテクの進展と応用による新商品の開発でした。エレクトロニクス、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、新素材、自然系エネルギーなど、21世紀中葉に急速に進展する新技術を徹底的に応用し、新たな用途や値打ちを持った商品の創造を奨励しました。

 とりわけ重点を置いたのは、モノそのものの物質的価値を超えて、電子や遺伝子などによる“情報搬送装置”としての値打ちを重視することでした。つまり、〝コト〟的な商品の創造と開発に、産業構造の比重を移行させていったのです。

第2は人口減少社会から、新たに発生する、さまざまな需要分野に向けて積極的に対応する産業を育成しました。

 例えば、少産化に対応する出産・育児支援・教育産業、長寿化に対応する健康・能力維持や介護・医療産業、人口分布の変動に対応する住宅・都市関連産業や生活サービス関連産業、さらには食糧・資源・エネルギーの自給率や安定供給を高める産業、環境の保全や改良に関わる産業といった分野を積極的に応援しました。

第3は、第3政策で触れた選択品分野であり、2020年代の生活社会にふさわしい生活価値観やライフスタイルに対応した、新しい心理産業の育成でした。

 人口が減少し価値観が成熟してくると、「基本財よりも選択財を」「ファーストライフよりスローライフを」「拡大志向より知足志向を」というように、従来の成長・拡大時代とはいささか違った生活様式が浸透してきます。これを先取りして、未領域分野の産業を創り出し、より有力な産業に育てあげることでした。

具体的にいえば、第4政策の〝コト〟商品群に加えて、ヨーロッパのシンプルライフやスローライフの延長線上で生まれる、日本型の「知足生活」型商品、身体や五感の鋭敏化に対応する官能型商品、神話や呪術など象徴的な需要に応えるスピリチャル商品、少なく生まれた人間が「太く長い人生」を生きていくための学習や鍛錬あるいは遊戯や娯楽に関する産業などです。

 こうした分野の拡大は、産業の重心がモノ中心の「必需〝品〟」分野から、ココロ中心の「必需〝心〟」分野に向かっていくことを示していました。

新田沼政権は、これら3分野の育成によって、国内市場を維持するとともに、海外に対しても、第7政策で述べるように、新たな商品やサービスとして積極的に輸出していきました。

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2011年4月25日 (月)

第5政策=非工業製品を安定させる

第5の課題は、食糧・資源・エネルギーなど、非工業製品の価格高騰や乱高下に対処することでした。

 2020年代の日本では、工業製品の価格低下とは逆に、非工業製品の価格が高騰する「工品安の非工高」の傾向が強まります。

現在67億人を超えた世界人口は、2030年代に80億人、2050年代に90億人を超えていきますが、先進国の大半ではすでに減少がはじまっていますから、今後増えていくのはほとんど新興国です。

 これらの国々の人々が、先進国の生活水準をめざす以上、人口が増えれば増えるだけ、食糧、資源・エネルギーなど生活基礎財の需要も急増します。

そうなると、2020年代の中ごろには、食糧、資源・エネルギー、水など、生活基礎財の需給バランスが次第に苦しくなり、供給不足や価格高騰が進みます。最悪の場合は、これらの争奪をめぐって、地域紛争や大規模な戦争が勃発することも予想されます。

最悪の事態に対処するため、新田沼政権は、生活基礎財を確保するための諸対策を多面的に展開しました。食糧対策については、自給率の極めて低い日本で、冷夏や干ばつによる凶作、戦争や疫病による輸入ストップ、有害物質の混入など、不測の事態が十分予想される以上、最低限必要な食糧を確保する「食糧安全保障」の確立が急務になります。

そこで、新田沼政権では、協同組合や非営利組織を主体とする農業法人を拡大し、国産食糧の増産を図るとともに、海外の食糧量産国と優先的な互恵関係を進展させました。これによって、食糧の量的確保を図るともに、安全性・安定性などの品質向上や、消費者を安心させる農産物の生産体制をめざしました。

 同時に広く国民によびかけて、米を中心に多様な食品をバランスよく採る「日本型食生活」のいっそうの拡大を図り、無駄に食べ残され、廃棄される食品をできるだけ減らす努力も求めました。

エネルギーについても、今後もなおも中心となる石油の価格が、低コストで採掘できる量の減少につれて、必然的に上昇していきます。もし原油高や円安が進行すれば、2020年代にはガソリンや灯油の価格が、現状の2~3倍になる可能性は十分にあります。

 こうした事態に備えて、新田沼政権は、資源・エネルギーの有効活用や代替エネルギーに関する、さまざまな対応政策を多面的に採用しました。また国民各層に対しても、生活財に関わる商品やサービスで、省エネ・省資源を推進する国民運動への参加を求めました。


また急速に枯渇する水資源についても、水の有効利用をめざして、家庭用水循環システム、節水型浄水機、湯水有効利用型風呂、節水型浄水シャワー、住宅用雨水利用システム、簡易淡水化装置といった節水型商品の拡大を推進するとともに、節水関連や水資源開発に関わる新産業を積極的に育成しました。

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2011年4月22日 (金)

第4政策=インフレを誘導する

デフレ克服のため、新田沼政権は、もう一つの政策を打ち出しました。第4のインフレ誘導策ですが、そこにはデフレ克服とともに、政府債務の低減も視野に入っていました。

第3政策で述べたように、2020年代には、一方でデフレ傾向が進み、他方では政府債務の増加が予想されます。これを克服する、新たな経済・金融政策として、インフレ誘導策の採用が検討課題に浮上してきました。

実をいうと、江戸中期にも幕府が貨幣悪鋳という手法によって、同じような政策を行っていました。その目的は、①出目(改鋳差益)によって、幕府の歳入を増やす、②通貨流通量の増加で金融を緩和し、実物経済を活性化させる、③貨幣価値を落として、米価を上昇させる、④インフレを促進して、幕府、藩、武士層の借金を長期的に軽減する、の4つでした。このうち、直接的には①や②が目標とされましたが、間接的には③や④の効果も生み出しています。

こうした貨幣悪鋳を、そのまま現代へ置き換えるのはかなり乱暴な話ですが、敢えて適用してみますと、中央銀行が通貨の供給量を増やして、貨幣価値を落とすことに相当します。

 となると、予想される効果としては、①増加した通貨で公債を購入し、政府債務を先延ばしにする、②通貨流通量の増加で金融を緩和し、実物経済を活性化させる、③通貨流通量の増加で貨幣価値を落として、物価を上昇させ、デフレを解消する、④インフレを促進して、政府・地方自治体、企業、多額負債者層の債務を長期的に軽減する、という4つが考えられます。

そこで、新田沼政権は、デフレの克服や経済の活性化をめざして、通貨の増量によるインフレ誘導策に出ました、もっとも、それだけには頼らず、同時に実物経済の拡大策も進めました。2020年代の日本では、人口減少による需要縮小と工業製品の供給過剰がある限り、金融政策オンリーで物価を上げ、経済を活性化させることは困難と見たからでした。

 このため、もう一方では、第4政策で述べたような、新選択品の創出政策で需要そのものを拡大させ、実物と金融の両面からデフレ克服に対応していったのです。

また長期債務対策としては、その実施によってマイナス効果の出る年金受給者や給与生活者などを救済するため、物価変動に比例して年金額を改定する「物価スライド制」の強化や急速な物価上昇を抑制する「インフレターゲット」制の厳格な適用などを併用しました。

 さらに「止め処なきインフレ・スパイラル」を避けるため、細かく期間を区切って、注意深く通貨増量を実施していきました。

 このように新田沼政権の金融・財政政策は、市場経済制度の持つ、通貨・金融のからくりを徹底的に利用する方向で展開されました。

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2011年4月21日 (木)

第3政策=デフレを乗り切る

新田沼政権が第3に取り組んだのは、デフレ対策、つまり工業製品の価格低迷を克服することでした。

 2020年代の日本でも、工業製品の価格低下にともなって、物価指数の低下、いわゆるデフレ現象が続きました。人口減少に比例して、工業製品の需要が大幅に減少したからですが、歴史を振り返ると、同じようなことが何度も起こっています。

中世末期のヨーロッパでは、人口の急減で「穀物安」が急速に進みました。ペストによって多数の農民が命を落としましたが、土地や生産用具はそのまま残っていましたから、穀物の生産規模は維持されました。

 だが、人口減少で需要が減ったため、穀物の価格は14世紀末期から15世紀後半まで、ヨーロッパのほぼ全域で下降しました。

 江戸中期の日本でも、人口が減りはじめた1730年ころから、4章で述べたように、「米価安」の傾向が現れました。農業生産が維持されたのに、人口停滞で米の需要が減少したからです。

2つの先例と同様に、2020年代の日本でも、工業製品の価格が低迷しました。第2政策で触れたように、国産品生産力の維持と輸入品の増加で供給過剰が進みましたから、工業製品の価格は急速に低下しました。「穀物安」や「米価安」と同じように、「工業製品安」つまり「工品安」が進んだのです。

このため、デフレ克服は新田沼政権にとっても、継続的な課題となりました。公共投資による需要喚起策通貨供給量の増加策も考えられましたが、前者は財政が許さず、後者では根本的な解決にはなりません。

 デフレから本気で脱出するには、需要そのものを増やす必要がありました。そこで、新田沼政権は、これまた歴史の先例に学んで、新たな選択品の需要を喚起し、物価水準を上げる政策を展開しました。

中世末期のヨーロッパでも、大麦・小麦の価格が下がったゆとりで、衣料品や手工業製品などの需要が増えて、「穀物安の羊毛高」という現象が起っていました。

 江戸中期にも、農民の多くは換金作物に転じ、米価安で町民の家計にもゆとりが生まれましたから、彼らの多くは綿布、絹織物、櫛、簪、印籠、根付など新たな選択品を求めるようになり、「米価安の諸色高」が進んでいたからです。

同じように、2020年代にもデフレが進むにつれて、所得の高い層ほど、物価下落で生まれた家計のゆとりを、工業製品から選択品へ向けます。選択品であれば、値が多少張っても購買意欲は落ちませんから、価格を上げることも容易です。「工品安の選品高」が市場全体に広がれば、工業製品の需要が減っても、市場の規模は維持・拡大されます。

新しい選択品とは何か。新田沼政権が注目したのは、単なる余剰品やぜいたく品ではありません。生物としての人間に不可欠な〝モノ〟を超えて、ヒトとしての人間に絶対に必要な〝コト〟を狙った商品群でした。

 例えば、個々のユーザーの生き方やこだわりに応える特注商品、五感や六感を通じて心に安らぎを招く〝養生〟商品、豊かな人生を実現する学習・訓練商品、生きる喜びを創る遊戯商品など、いずれも生活者が出費を惜しまないような商品やサービスでした。それらを新たに創り出せる能力が「創造生産性」です。

つまり、新田沼政権はポスト消費社会、つまり生活社会のライフスタイルにふさわしい、斬新な選択品の創造こそ、デフレ突破の本命と考えたのです。こうした新選択品の拡大によって、新規需要を生み出し、デフレを克服していきました。

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2011年4月19日 (火)

第2政策=生産力を維持する

第2の課題は生産力の維持でした。2020年代の経済構造では、労働力の減少による生産力の縮小が懸念されました。「人口が減ると労働力も減るから、経済規模が縮小する」という説を多くの経済学者が指摘し、大半のマスメディアも同調していたからです。

しかし、新田沼政権はこれらの意見には従わず、新たな方策で生産力の維持、拡大に取り組んでいきました。というのは、これらの悲観論が、人口増加時代の生産性の緩やかな伸び率をそのまま延長して、人口減少時代に当てはめており、もっと長期的に人口減少社会の先例を見れば、必ずしもそうではない。ということに気づいていたからです。

例えばイギリスでは、14世紀中期から15世紀中期にかけて、人口は約6割減少しましたが、そのために雇用労働の賃金が高騰し、実質賃金は約2倍に上昇しています(R・G・ウイルキンソン・前掲書)。

 江戸中期の日本でも、1730年以降、人口や耕地面積が減少したにもかかわらず、農民1人当たりの実収石高は上昇しました。1人当たり耕地面積が拡大したうえ、田畑輪作や二毛作、備中鍬や踏車など、農業技術のさまざまな改善があったからです。さらに農業の余業として加工業収入や、町場での商工業所得も伸びましたから、国民1人当たりの所得はもっと上がりました(速水融・前掲論文)。

 要するに、労働力が激減しても、農地、農具、生産技術などの生産資源が保存されておれば、労働生産性が急上昇し、生産力は維持されるのです

以上の先例を熟知していた新田沼政権は、労働力の減少分を、ロボットやパソコンをフルに稼働させて労働生産性を上昇させることで維持しました。

 さらに60歳代後半~70歳前半層や専業主婦層なども、ジョブシェアリングやタイムシェアリングといった新就業形態の拡大で、雇用を促進しました。これらの対応によって、量的には減少していく労働力を、質的には維持していくことに成功したのです。

そのうえで、新田沼政権は「例えGDPが伸びなくても、個人所得は伸ばす」という目標を掲げます。人口増加時代のような大幅な成長は望めないが、従来の規模を維持することはさほど困難ではない。

 ゼロ成長が続けられれば、個人所得は徐々に上る。GDPを分子、人口を分母におくと、分子が一定であれば、分母が減っていく分だけ、解である個人所得は増える

 もし2010年代前半のGDP約500兆円が維持できれば、1人当たりGDPは現在の393万円から、2020年には実質411万円(1.04倍)、2050年には同543万円(1.38倍)に増えていきます。

そこで、新田沼政権は、GDPが伸びなくても、それなりの生活水準を維持していくために、効率向上によって付加価値を生み出す労働生産性」の上昇と、創造力によって新しい付加価値を生み出す「創造生産性」(第3政策参照)の両方を向上させるべく、生産性の向上運動を展開していきました。

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2011年4月18日 (月)

第1政策=財政を健全化する

第1の課題は、先に述べたとおり、危機に瀕する財政の再建でした。

 この課題に対して、新田沼政権は、市場(交換)と象徴(互酬)のバランスを図りつつ、それにふさわしい政府(再配分)のあり方を求めて、歳入、歳出の両面から次のように対応しました。

歳入増加策としては、法人税を増収するため、従来型のモノ作り産業に加えて、新に増加してきたコトづくり産業の育成にも努め、企業からの税源を多角化させました。

 例えば第4政策で述べる新選択品産業や、第6政策で触れるハイテク応用産業人口減少対応産業など、2020年代に伸びてくる、新しい産業群からの税収増加を狙いました。

また第2政策で触れるように、1人当たりGDPの上昇で自律度を高める生活者に対しては、所得税の累進課税の強化や相続税の強化などを行い、所得再分配の機能を強めました。

 さらに消費税の水準を維持して、社会保障や福祉財源の確保に努めるとともに、国有地や公有財産などの活用案を広く募って、税収以外の収入源を拡大しました。

他方、歳出削減策としては、人口減少社会を前提にして、新規の公共投資よりも既存インフラストラクチャーの維持・保全に投資を転換し、政府や地方自治体の事業についても、広く民営化案を募って、企業や非営利組織などへの移管を促進しました。

 また年金財政では、有業年齢を70歳代前半まで繰り上げる政策の拡大で、負担年齢とともに支給開始年齢もまた、上方に繰り上げました。

さらに社会福祉支出のとめどなき増加を抑えるため、21世紀にふさわし互酬制度の再建をめざして、新たな家族・地縁集団の形成を支援しました。

 例えば、緊急時の相互支援を前提に共棲する、単身者のハウスシェアリグや高齢層のコレクティブハウスなどには、準家族としての役割を認める政策を展開し、マンション居住者のフロア別防災組織や、新興住宅地の地域連絡網などを強化して、生活全般の相互扶助にまで拡大していくような、積極的な支援政策も実施しました。

こうした対応によって、新田沼政権は、政府・地方自治体が主導する公共投資、公共サービス、福祉事業などの公的事業についても、それぞれの内容を吟味して、企業はもとより、NPO、NGO、さらには家族や地域コミュニティー、ボランティアなどにも分担を促し、それぞれが連携して対応していく体制をめざしました。連携体制の強化によって、可能な限り公的な負担や支出を抑えることに努めたのです。

また以上の政策を検討し実施していく政府機構についても、生活社会に適した規模を求めて、国民各層からの提案やアイデアを幅広く集約し、実行に移していきました。

 それは近代政治・行政制度のような、トップダウン方式の指揮・命令ではなく、かつての田沼政権のような、むしろ前近代的なボトムアップ方式の提案制度でした。

例えば歳入増加や歳出削減に関する改革アイデアについては、まず関連地域や関連業界など、さまざまな関係者によびかけて、広く多角的に募ったうえで、提案者自身にもできるだけ参加してもらう形で実行に移すという手法を採っています。

あるいは全国民に危機的状況を訴えて、その改善策を幅広く提案してもらう手法も採用しました。

 代表的な事例として、富裕層からは「社会貢献者」認定制度と連動した財源寄付制度や年金辞退制度が提案され、名誉の授与だけで支出を減らすことができました。

 また困窮層からは社会的貢献やボランティア参加などに応じた生活保護制度など提案され、少しでも財政負担を軽くする風潮が形成されました。

さらに行政機構の中でも、全官僚によびかけて、新たな改革案を競争的に提案してもらい、その実践についても、一定の責任を持たせました。そうした成果が直接、昇給や昇進につながるようなインセンティブもまた導入しました。

以上のようなボトムアップ方式の採用によって、その大胆さゆえに初めは困難と見られていた新田沼政権の財政再建政策は、予想以上の進展をみせたのです。

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2011年4月15日 (金)

贈与経済を再評価する

新田沼政権がこのような立場を採った背景には、2010年代の初めから世界的に進んできだ、市場経済制度への見直がありました。

 例えば、現代フランスを代表する哲学者B・スティグレールは、2007年7月のサブプライム問題や08年9月のリーマンショックなど、世界的な金融危機は、単なる金融システムの崩壊ではなく、20世紀型「消費主義」の終焉と理解すべきだ、と述べていました。

20世紀型消費主義はこれまでに、私たちの生活を成り立たせてきた、家族構造や文化構造などの「象徴制度」をなし崩しに破壊してきました。とりわけ1970年代以降の生活には、「欲求不満」の消費主義が浸透し、ひたすら「中毒的消費」や「消費依存症」を拡大してきましたから、その病根を解毒しようとすれば、新しい「生の様式」や新たな「生き方」を作り出さなければなりません。それには「象徴制度」の再構築をめざして、「寄与の経済」や「贈与の経済」が中心の、次世代産業モデルを構築することが必要だ、と提案しました(『象徴の貧困1 ハイパーインダストリアル時代』)。

日本の思想界をリードする内田樹も、モノを買わなければ自分らしくなれないと脅迫し続け、無理やり購買欲を喚起してきたのが経済社会だ、と述べて、市場社会が生み出した消費社会を批判しています。戦後の日本では、家や車はもとより酒や音楽まで「『どんな商品を購入するかによって、その人が何者であるかが決定される』というイデオロギー」が、私たちの社会を支配してきたが、「その度が過ぎてアイデンティティを諦める人々を作り出してしまった」というのです(『atプラス03』)。

そこで、内田もまた、日本経済を再生させる方法として、資源の枯渇、人口の抑制、市場の縮小という条件に適応する経済活動へシフトすることが必要だとし、「商品経済」から「贈与経済」への移行を提起しています。「それは『商品交換』から『贈与』に経済活動の基本行動を置き換えること」ですが、「別にむずかしいことではない。人類史の黎明期から数万年はずっと『それ』でやってきたのだから」と述べています(webサイト『内田樹の研究室』)。

洋の東西から巻き起こった市場主義=消費主義批判は、戦後の世界を席巻してきた、アメリカ型の市場経済制度とそれを前提にしたライフスタイルへの告発でした。「市場」のみを通じて、消費者は自分の生活を形成し、企業は売り上げの拡大を狙うという、経済システムにも、そろそろ限界が見えてきたということです。

実をいえば、こうした発想は決して新しいものではありません。1920年代、すでにフランスの社会学者M・モースは、北西部アメリカインディアンのポトラッチやポリネシア原住民のクラという「義務的贈答制度」を発見し、現代社会の市場経済を補完するもの、と位置づけています(『贈与論』)。

この思想を受け継いだ、同国の社会学者J・ボードリヤールも、1970年代に「クラやポトラッチは消滅したが、それらの原理は消滅しない。われわれはこの原理を物の社会学的理論の土台にすえたい」と主張し、カラーやデザインなどの記号消費を超える手段として、贈与の復権を提案しています(『記号の経済学批判』)。

これらの提案が意味しているのは、行き過ぎた市場制度を抑制し、それが破壊してきた象徴制度を復権することで、社会のバランスを再構築しょうとする方向です。いいかえれば、象徴制度や贈与経済の見直しや拡大によって、市場経済や商品経済だけに負わされてきた、過剰な負担を軽減しようというのです。

もともと市場=経済システムは、さまざまな社会システムの中の1つのサブシステムに過ぎないものでした。先にあげたK・ポランニーは「19世紀の自己調整的市場は(中略)19世紀直前の市場とすら根本的に異なっている」(前掲書)と述べて、市場経済が普遍的と思われるようになったのは19世紀以降にすぎない、とみなしています。

それにもかかわらず、市場経済だけが至上の社会システムのように横行した結果、一方ではあらゆる社会的要請に応えざるをえなくなり、他方ではさまざまな矛盾を露呈しました。それならば、互酬や再配分といった、他のシステムと調整することで、無駄な支出を省き、財政を再建しよう、という方向が見えてきます。

こうした方向転換によって、新田沼政権は2020年代後半に、プライマリーバランスの黒字化に成功し、以後ほぼ10年の間、プラス状態を続けました。そのうえで、より長期的な政策にも取り組み、新たな産業育成政策斬新な外交政策などを展開していきます。それらを整理してみると、次の十大政策にまとめられます。

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2011年4月14日 (木)

〝生活〟社会とは何か

〝生活〟社会とは、聞きなれない言葉です。「生活」と「社会」をつなげた、すわりの悪い造語と思われるかもしれませんが、「産業社会」や「消費社会」の後に来る社会を名づけるには、この言葉しかないと思いますので、あえて使用します。

生活社会とは、一言でいえば、市場と生活のバランスの取れた社会です。産業社会+消費社会=市場社会が破壊した生活世界、例えば生活者という主体や欲動という願望などを再生させて、市場と拮抗させ、バランスを回復していく社会です。その特徴は次の3つに集約されます。

1つは個体性の回復です。生産者や消費者という概念に飲み込まれていた生活者という主体を回復し、社会や市場に対抗できる個体性を取り戻します。

 具体的には、自給自足や物々交換の見直し、脱構築や差延化(既製商品の本格的カスタマイズ化)といった私的行動を拡大していきます。

2つめは象徴性の回復です。私たちの生活願望を、表層的な欲望から深層的な欲動へ向けさせ、それによって願望の方向を記号志向から象徴志向へと転換します。

 ここでいう象徴とは、スイスの分析心理学者C・G・ユングのいう、夢や幻想の中に現れるイメージのことで、言語体系が形成される以前の「原始心像」をさしており、言語が創り出した「記号」に対抗するものです(『元型論』)。

 この転換によって、マスメディアや市場が押し付ける、さまざまな記号(流行、権威、誘導など)を超えて、生活者の内側からにじみ出る象徴(感覚、欲動、自律など)を重視する態度を拡大します。

具体的には、欲動、体感、象徴といった、言語化される以前の知覚を強化することであり、その延長線上に、象徴が集団的に共有された象徴制度(家族、血縁、地縁、知縁共同体)象徴交換(贈与、寄与、互酬性)などの復権が展望されます。

第3は個体性と象徴性を掛け合わせた生活世界の深化です。両者をクロスすることで、強力な市場世界に対抗できる、柔軟な生活世界が確立できます。

 具体的にいえば、身体を延長するする分身、心を拡散する分心といった自己延長、あるいはS・フロイトのいう「リビドー」などの先に、ナルシシズム愛着志向が生まれ、盲目的な「価値」追随の否定アンチ・ブランド志向が生まれてきます。

このように書くと、集団から個体へ、記号から象徴へ、市場世界から生活世界へ、と一方的な移行のように思われるかもしれませんが、そうではありません。

 今まで弱体化していた個体、象徴、生活世界を回復させて、集団、記号、市場世界と拮抗させることで、バランスある社会構造を創り出そというのです。

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2011年4月13日 (水)

2020年代という時代

新田沼政権が新たな政策を採った背景には、2020年代という時代の流に適応しようとする意思があったからでした。彼らにとって、2020年代の日本とは、次のように位置づけられていました。

人口減少社会の活用化・・・21世紀中葉まで人口減少が続く以上、そのマイナス面よりもプラス面を活用する社会をめざす。具体的には、70歳代前半までの労働力化、1人当たりGDP増加の拡大、工業製品安の非工業製品高への適応、人口密度の低下で生まれるゆとりの活用などを実施する。

ラストモダンの開始・・・2020年代は、江戸後期にはじまり、21世紀初頭にピークを迎え、40~50年は下降する、工業現波の最終段階であり、「ポストモダン」ではなく、「ラストモダン」、あるいは「ファイナルモダン」とよぶべき時代の開始である。それゆえ、この波を支えてきた加工貿易体制の最適化、つまり科学技術、市場経済制度、グローバル化を微調整しつつ、社会全体の安定化を計る。

生活社会化の推進・・・現代日本を支えている市場社会は、これまでの「産業社会」から「消費社会」を経て、次の「生活社会」へ移行する。つまり、1950~70年代のフォーディズムによる大量・過剰生産が可能となった産業社会から、1980~2010年代のマーケティングによって過剰な消費を作り出す消費社会を経て、2020~30年代には、生産と消費で構成される「市場」と、個々人の「生活」とのバランスを見直す生活社会へ移行する。

以上のような時代認識に立って、新田沼政権は個々の政策課題に取り組んでいきますが、特に重視したのは〝生活〟社会化でした。

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2011年4月12日 (火)

新「田沼」時代が始まる

かつての田沼政権は、石高経済という再配分制度を維持・再建しつつも、折から勃興してきた商品経済という市場制度を重視し、そこから新規税収を獲得することで、幕府財政を立て直しました。

 だが、新田沼政権は、市場制度の過剰な拡大をあえて抑制したうえで、家族、地域社会、多様な共同体などの中に継承されてきた人間関係、つまり互酬制度を再構築するとともに、福祉国家という再配分制度もまた見直ました。

 つまり、市場制度、互酬制度、再配分制度の3つのバランスを回復することで、無駄な歳出を抑制するとともに、新たな歳入源を見出していったのです。それは、4章で述べたように、K・ポランニーのいう互酬、再配分、交換の3つの制度を積極的に鼎立することでした。

このように書くと、新田沼総理は田沼老中の先例をまったく無視したと思われるかもしれません。だが、そうではありません。田沼政権が石高経済と商品経済のバランスを大胆に回復したのと同じように、新田沼政権は市場主義至上体制から互酬・再配分・交換連立体制へ、その視点を大きく転換したのです。

こうした政策の画期性ゆえに、彼の執政する20数年は、後に「新田沼時代」とよばれるようになりました。

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2011年4月11日 (月)

新田沼の登場

(お待たせしました。「平成享保」を再開し、5章へ入ります。)


 人口減少がしばらく続いていると、ようやく世の中はその状態になじんできます。それとともに、この新たな事態に対応しようという、積極的な動きがはじまります。

現代でいえば、おそらく2020年代の社会であり、人口は平成32年(2020)の1億2122万人~12274万人から、平成42年(2030)には1億1258万人~1億1522万人へ、750~860万人も減っていきます(国立社会保障・人口問題研究所推計)。

2020年代を、江戸中期の明和~天明期に因んで、あえて名づければ、「平成明天」、あるいは新たな元号に基づく「新元明天」ということになります。

この時代に日本政府の中心となって、大胆な政策を展開するのが、未来の総理大臣Ⅹです。Ⅹが誰なのか、現時点で予測することは困難ですが、それではリアリティーに欠けますから、とりあえず新たな田沼氏、「新田沼(しんたぬま」氏とよんでおきましょう。

 この新田沼は、21世紀初頭の小泉純一郎内閣による構造改革やその後の世襲系内閣の混迷政治を横目に見つつ、従来の常識を大きく逆転する政策によって、新たな社会・経済を切り開いていきます。

新田沼政権が最初に直面した問題は、やはり財政再建でした。1990年代初頭には、GDP比で60~70%であった、日本政府および地方の債務残高は、その後の長期不況対策で急増し、21世紀に入ると、120~130%と世界最高水準に達しました。

 そこで、小泉政権は厳しい財政抑制策を採って改善に努めはしましたが、2007年以降になると世界的不況のあおりで債務残高はさらに増加し、2020年代初頭には、200%を超えるまでに膨らんでいました。

2010年代に、政府は消費税の大幅増税を行なっていました。だが、10年代の中ころから国民は一斉に消費抑制に入りましたから、税収は思うようには伸びません。それでも、アジア新興国向けの輸出が拡大しましたから、法人税の増収でプライマリーバランス((国債などの借金やその元利払いを除いた、歳入と歳出の比較)は何とか均衡を保っていました。

 しかし、10年代後半になると、新興国の経済拡大にも陰りが見えはじめ、景気は再び後退しましたので、債務残高はついに200%の大台を超えてしまったのです。

それゆえ、政権に就いた新田沼総理が、直ちに取り組んだのは、江戸中期と同じように、財政の建て直しでした。もっとも、彼が採用した政策は、江戸時代の田沼政権のそれとは、まったく逆とも思えるような手法でした。

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2011年4月 8日 (金)

コンデンス・シティーをめざせ!

 津波被災地の復興策として、コンパクト・シティーが取りざたされています。丘陵地にコンパクトな市街地を造り、そこから海浜部の港や漁業施設に働きに出る、というものです。町を低地から高地に移し、安全性を優先するという発想は、それなりに頷けます。

  だが、コンパクト・シティーで本当にいいのでしょうか。コンパクト・シティーのモデル都市・青森市の場合、もし陸奥湾を大津波が襲ったとしたら、都心部は壊滅状態になるでしょう。中心部に諸機能を集めていたがゆえに、被害はいっそう拡大されることになります。

私は以前から、都市学者の多くが賛同する「コンパクト・シティー」に疑問を呈してきました。詳しくは拙著『増子・中年化社会のマーケティング』で述べていますが、本質的な次元で、この発想にはかなり疑問があります。・・・以下、現代社会研究所サイト

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2011年4月 6日 (水)

なぜ低地に町を造ったか?

三陸海岸を走ると、あちこちで津波の記録碑に遭遇します。ここまで波が来たという警告碑や被災者の慰霊碑が、道路脇や山際に現れます。津波の被害に敏感な地域として、郷土の記憶が幾重にも蓄えられています。

今回の大震災に際しても、高地に設けた住居や避難場所によって、被害を避けたケースが幾つか報告されています。宮古市重茂半島姉吉地区の石碑「ここより下に家を建てるな」や、大船渡市綾里白浜集落の「昭和三陸津波の到達点より高い場所に家を建てよ」という教訓が、被害を最小限に抑えた、とマスメディアが報道しています。

だが、こうした遺訓が適切に活かされたかといえば、ほんの一部の事例にすぎません。この地域の都市の大半は、海際の低地に造られており、それがゆえに大津波に飲み込まれました。

なぜ私たちは遺訓を活かせなかったのでしょう。危険と知りつつも、なぜ低地に町を造ってしまったのでしょう。東北人は、いな、日本人はなぜ先人の記憶を活かせなかったのか、これは災害対応という次元を超えて、私たち日本人の文化の問題だ、と思います。・・・以下、現代社会研究所サイト

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2011年4月 5日 (火)

東北の宿命か?

東北地方には、さまざまな形でお世話になってきました。振り返ってみると、1980年代初頭に青森のテクノポリス開発に関わって以来、同地の大学教授を兼務し、昨年、定年退職するまで、ほぼ30年になります。

この間、今回の被災地となった八戸、宮古、釜石、陸前高田、石巻、塩釜、仙台、亘理、いわきなどには、講演や調査、あるいは経営相談などで度々訪問しています。繰り返される画面上で、これらの町々が瓦礫に変わったのを見て、お世話になった方々のお顔が浮かびあがり、胸が張り裂ける思いです。

東北地方は、人口容量の限界ゆえに、“再び”多大な被害をこうむりました。“再び”というのは、1章で述べたように、集約農業文明によって日本列島の人口容量が3250万人の上限に達した江戸時代中期、この地方では大勢の人々が餓死しているからです。・・・以下、現代社会研究所サイト

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2011年4月 3日 (日)

人口容量の限界が露呈した

東日本大震災から3週間以上たちました。この間、悲劇的な事態をどのように受けとめるべきか、マスメディアやインターネットを通じて、著名人からブロガーまで、さまざまな感想や意見が飛び交っています。

 それらに接して、幾つかの意見には深く共感を覚えました。その一方でまったく見当はずれ、と指弾したくなるものも少なからずありました。「文明論を述べている時ではない」という意見など、幾分反発も覚えます。もっとも、その理由を考えてみれば、最終的には発言者の立場や思考回路に帰着しますので、あえて反論するまでもない、とも思います。

そうした意味で、ここに書くことも、的外れと批判されるかもしれません。大勢の行方不明者が未だに見つからず、大量の避難者もまた帰宅を阻まれている段階で、マクロな感想を述べるのは、あるいは不謹慎かもしれません。それを承知の上で、このブログを書き続けるために、どうしても述べておきたいことを、3つだけ述べようと思います。

最初に書きたいのは、現代日本の基本的な構造が、まちがいなく限界に達している、ということです。・・・以下、現代社会研究所サイト

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