カテゴリー「2章 平成前半を振り返る」の記事

2011年1月22日 (土)

新たな諸色とは何か

ところが、享保時代にはもう一方で「諸色高」という現象が進んでいました。「米価安の諸色高」ですが、平成時代に当てはめれば「工品安の××高」ということになります。平成の「××」には、どのような言葉を入れればいいのでしょうか。やはり消費者物価指数の長期的な推移を眺めてみると、3つの指数の変化が注目されます。

1つは農水畜産物の動きです。1990年代までは一貫して総合指数より高めに推移してきましたが、2000年代に入ると、2000~03年はやや低めに落ちたものの、04年以降は国際的な穀物価格の上昇を受けて、やや高めに戻っています。

2つめは石油製品と電気.都市ガス.水道です。70年代~80年代前半は第2次石油ショックの影響で極端な乱高下を示した後、80年代後半から2005年までは総合指数よりかなり低めに推移してきました。しかし、06年以降は国際的な投機資本の介入を受けて、08~09年に再び乱高下しています。

3つめは外食.医療.福祉.教育などの一般サービス(公共サービスを除く)です。1970年以降、一貫して総合指数より低く推移してきましたが、2000年代に入ると、総合指数に近づいて、ほぼ同レベルで動くようになっています。20世紀中はかなり廉価であったものが、21世紀に入ると、一気に高くなってきたということです。

以上の3トレンドの意味しているものこそ、平成の「××」ではないでしょうか。工業製品の価格は1990年代初頭にピークを記録した後、徐々に低下し、総合指数にも影響して、デフレーションを引き起こしていますが、これら3トレンドはその流れから外れているからです。

つまり、農水産物や石油製品は、国際市場の影響を強く受けて、デフレ傾向とは無関係な動きを示しています。自給率の極めて低い両分野では、国内の需給バランスを大きく超えて、国際的な需給バランスや商品投機市場の影響が直接現れます。このこと自体が、加工貿易文明に立脚する、現在の人口容量の、必然的な結果ともいえるでしょう。

また一般サービスの漸進的な上昇は、工業生産に比べて、労働生産性の急激な上昇が困難であるからです。そのうえ、15~64歳の労働力人口が漸減していますから、サービス価格はますます上昇します。ここにも人口減少社会の必然性が現れています。

とすれば、平成の「諸色」とは、工業製品の生産・輸入の枠外にある、海外からの食糧やエネルギーと、国内の人的サービス、いわば「非工業製品」ということになるでしょう。結局、平成時代には「工業製品高の非行製品安」、つまり「工品安の非工高」が進んでいくのです。

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2011年1月21日 (金)

工業製品は安くなる

人口容量が飽和した社会では、その容量を支える、中心的な物質の価格が低下します。加工貿易文明ではいえば、それは工業製品ということになるでしょう。

消費者物価指数(2005年=100)で工業製品の長期的な推移を見ると、図表に示したように、1970年の42.1から80年の91.6を経て、92~93年に108.9でピークとなり、その後はかすかに増減を繰り返しながら、2009年には99.7まで下がっています。Photo_2 

これに伴って、総合指数も、1970年の33.0から80年の78.1を経て、98年に103.3でピークとなり、微減微増の後、2009年には100.3まで下がっています。物価が継続的に低下する、いわゆるデフレーションですが、この背景には需要の減少と供給の増加が考えられます。

需要の減少では、消費主体である人口の減少と経済停滞による消費の萎縮が重なっています。人口減少の影響は、総人口の減少に加えて、人口構成の上昇による消費主導層の減少、長寿化による消費性向の変化などに現れています。また経済停滞の影響で、所得の減少、失業者の増加、先行き不安など、消費行動を抑制する傾向が強まっています。

一方、供給の増加では、工業生産力の持続.増加と輸入量の拡大が影響しています。工業製品の生産力が維持、拡大されているのは、これまでの生産設備や生産ノウハウが持続され、生産性も上昇しているからです。

製造業の従業員数は、大企業で2001年の282万人から04年の248万人を経て06年には256万人、中小企業で01年の814万人を経て、04年の746万人、06年の736万人へ減っています。両者を合計すると、01年の1096万人から06年の992万人へ104万人も減少しています(2009年版中小企業白書)。

ところが、製造業の労働生産性を示す「従業員1人当たり粗付加価値額」の推移を見ると、大企業では1990年の1260万円から2000年の1420万円を経て、07年には1850万円まで上昇しています。中小企業でも、90年の580万円から00年の570万円を経て、07年には670万円まで上りました(同)。

このように、従業員の数が減っているにもかかわらず、生産性が上昇していますから、なお生産力は増加しています。生産力が落ちないところへ、世界的不況で輸出も停滞していますから、必然的に国内向けが増えます。だが、国内需要は落ちていますから、製品の価格は低下します。

他方、海外からの輸入品も増加しています。工業製品でいえば、1990円の171兆円から2000年の250兆円を経て、07年には412兆円に達しています。しかし、09年には不況に影響で289兆円まで減っています。金額はやや減りましたが、新興国の急速な工業化によって、輸入品の価格はかなり低下しています。

結局のところ、一方で需要が減少しているのに、他方では国内生産力の拡大と廉価な輸入品の増加で供給量が増えていますから、供給過剰がますます進行します。供給過剰が進めば、必然的に工業製品の価格は低下します。これが「工業製品安」の背景です。

加工貿易文明の限界で人口容量が満杯になった以上、工業製品の需給が逼迫して、その価格は上がるはずです。にもかかわらず、物価が逆に下がっているのは、まさしく享保時代の「米価安」と同じ現象といえるでしょう。

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2011年1月20日 (木)

グローバル化の限界

3つめのグローバル化も、手放しで肯定することが困難になっています。

第2次世界大戦後の日本は、世界中の国々と貿易や交流を拡大することで、資源・エネルギー・食糧を輸入し、1億2800万人の人口容量を作り上げてきました。これが可能になった背景には、戦後の世界で、各国国民の行動が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大する、いわゆる「グローバル化」の進行がありました。

とりわけ、ソビエト連邦が崩壊した1992年以後は、運輸・通信技術の急速な発展や冷戦終結後の自由貿易圏の拡大などを利用して、アメリカの政府や企業が、国境を越えた貿易や投資など多彩な経済活動を展開しました。その結果、アメリカ型の市場原理主義・新自由主義が、世界各国を席巻し、市場経済の一極化を促進しました。

日本もまた、この波に乗って、自動車や家電製品の輸出を拡大し、資本の投資を推し進めてきました。つまり、こうした世界経済システムによりそうことで、経済的繁栄と人口容量の確保を達成してきたのです。

ところが、近年、グローバル化の利点だけでなく、むしろ欠点が目立つようになってきました。もともとグローバル化には、①安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで、市場競争力の弱い国内企業が衰退するため、労働条件の低下や失業が増加する、②投機資金の短期的な流出入で、為替市場や株式市場が混乱し、実体経済を脅かす、③他国からの企業進出や投資によって、国内で得られた利益が国外へ流出する、④厳しい国際競争に耐えられる経営体質への転換が求められるため、労働条件や環境条件が緩和され、社会福祉水準が低下する、⑤アメリカ型市場原理主義の流入で、自国の社会・経済システムや固有の文化・価値観が破壊される、といった問題点が潜んでいました。

90年代以降の日本でも、これらの欠点がすでに目立ちはじめていました。にもかかわらず、自由民主党政権がさらにグローバル化を進めたため、2007年以降になると、はっきりとマイナス現象が現れるようになりました。

アメリカ発の世界不況はそのまま国内に浸透し、輸出量の激減や外国人投資家の大量引き揚げなどで、過度の経済縮小を招きました。また発展途上国からの廉価な輸入品の氾濫でデフレーションが進行し、これに耐えられない企業の中には給与や労働条件の引き下げを行ったり、倒産に追い込まれるケースも増えています。

ここまで経済状況が悪化してくると、賃金水準の低下、正社員の縮小、派遣社員の解雇などが拡大し、失業率は上昇、生活水準は低下といった事態が起こり、それがまた内需の減少を招いて、企業収益を悪化させています。

このようにグローバル化は、一方では資源・エネルギー・食糧の調達を可能にし、廉価な工業製品の購入を可能にすることで、人口容量を広げはしましたが、もう一方では国内企業の輸出力や経営力を弱め、国内経済を混乱させることで、逆に人口容量へ足かせをはめようとしています。ここまでくると、手放しのグローバル化信仰は、今一度再検討すべき時期に至ったのです。

いうまでもなく、幕末の開国以来のグローバル化を直ちに放棄することなど、とてもできるものではありません。だが、その内容や範囲については、少しずつ修正していくことが必要なのではないでしょうか。

例えば、海外からの野放図な企業進出や資本流入などに対しては、自国民の利益を損なわないような、適切な倫理基準を要求することが必要です。過剰な外需志向経済を是視して、人口減少社会にふさわしい内需産業を再構築し、改めてそれらを輸出できるような、経済・産業構造をめざすことも必要です。あるいは、2020年代以降、間違いなく襲ってくる食糧やエネルギーの国際的な逼迫を考えると、自給力の再構築も急務です。とすれば、従来の漫然たるグローバル化信仰を見直して、利点欠点を取捨選択できる、半ばクローズドな方向を模索しなければなりません。

以上のように、加工貿易文明はさまざまな側面で限界を示しはじめています。これらの限界の顕在化によって、平成享保の日本社会は次第に飽和の色を濃くしているのです。

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2011年1月19日 (水)

市場経済制度の限界

市場経済制度についても、限界が見えてきました。1980年代後半に内需主導の経済成長を実現し、一時は世界中から羨望された、日本型の市場経済や経営システムも、90年代にバブル崩壊で大不況に陥ると、それぞれに内在する諸矛盾を露呈しました。

2000年代に入って、不況を乗り切るため、小泉政権が採用した経済政策は、小さな政府をめざして市場競争を強化し、公平と繁栄を実現しようとする新自由主義でした。アメリカの共和党政権やイギリスのサッチャー政権にならったもので、いわゆる市場原理主義を日本の経済・社会政策に適用したものです。

この政策によって、その後の日本はバブル崩壊後の長期不況からなんとか脱出し、GDPの実質成長率をプラス2%台に戻しました。失業率・有効求人倍率も大幅に改善しました。とはいえ、07年の名目GDPは、1997年とほぼ同水準の515兆円で、10年前の経済規模に戻ったにすぎません。

このため、景気回復の効果が一部の高所得者や大企業に偏在し、国民一人ひとりには達していないと、むしろ所得格差の拡大を指摘する声が広がりました。とりわけ、新自由主義的政策に基づいて、小泉内閣が実施した、労働者派遣法の規制緩和で、企業側は正社員を絞り、派遣社員を急増させました。その結果、2000年2月から2009年3月までの10年間で、正規雇用は3630万人から3386万人と240万人減少したのに対し、非正規雇用は1273万人から1699万人へ、430万人も増加しています。

また企業が労働者に支払った給与の総額は、1998年から2007年の10年間に22兆円も減少しており、労働者の平均給与では減少傾向が続いています。国税庁の民間給与実態統計調査によれば、1997年の労働者の平均給与は467万3000円、年収200万円以下の労働者は814万1000人で、労働者全体の17・9%でしたが、2007年には平均給与は437万2000円に減少、年収200万円以下の労働者は1032万3000人となり、労働者全体の22・8%へと増加しています。

さらに07年以降、アメリカで露見したサブプライム住宅ローン問題や、リーマン・ブラザーズの破綻を契機とする世界金融危機の影響で、日本経済は再びマイナス成長に陥りました。このため、派遣社員や非正規社員を大量に解雇する「派遣切り」が拡大し、対象者は給与だけでなく住居も奪われるという事態に追い込まれました。解雇された派遣社員の中には、生活苦が原因で強盗や殺人に走るもの、世の中を恨んで路上で刃物を振り回すもの、あるいは収入が途絶えて餓死するものも現れ、深刻な社会問題となりました。

こうして80年代までの人口容量を支えた日本型の経済・経営システムは、今後の進むべき方向を見失ってしまいました。

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2011年1月18日 (火)

停滞する科学技術

科学技術でいえば、これまで日本の輸出品を代表してきた乗用車や家庭電化製品について、その品質や競争力にさまざまな懸念が広がっています。

乗用車では、日本が最先端を走っていたハイブリッド車の安全性や、世界各国で急拡大してきた電気自動車への対応などの面で、緊急の課題が増加しています。2009年、アメリカでトヨタの乗用車に安全性が問題化したため、2010年1月、同社はアクセルペダルの部品不良として、約230万台にリコールをかけ、さらに1月末、中国やヨーロッパでも、同じ部品を使ったアクセルペダルの不具合で、各国にリコールを届け出ました。

2月になると、日本国内でもハイブリッド車「プリウス」など4車種ブレーキの不具合が発見されたため、国土交通省に約22万台のリコールを届け出ています。その結果、リコール対象車は全世界で約40万台に達し、これまで「安全・高品質・故障が少ない」を売り物に、世界市場を席巻してきた、トヨタのイメージも大きく崩れました。

世界の乗用車市場では今後、エネルギーの効率化や低炭素社会の実現にむけて、本格的な電気自動車に期待が集まっています。電気自動車の外観は、ガソリンエンジンの自動車とほとんど同じですが、動力構造がまったく異なるため、その普及にともなって、各国の競争力を大きく変える可能性を秘めています。

従来の自動車企業は、高度で複雑な技術が求められるエンジンを内製化し、その改良や進化を武器にしてシェアを拡大してきました。だが、電気自動車の動力源であるモーターは、電機業界に広く普及している既存技術の1つであり、外部から容易に調達することができます。もう1つのコア技術である蓄電池も、工業的な技術に加えて化学的なノウハウが必要なことから、電機メーカーや電池メーカーと提携して開発や生産を行うことになります。このため、約3万点という自動車の部品数も、5分の1から10分の1に減りますから、生産工程もかなり簡略化でき、価格も大幅に下がります。

そうなると、電気自動車には、自動車メーカーに加えて、電機メーカーや化学メーカーなども参入してきますし、さらには中国、インド、ベトナムといったアジアの新興国でも、容易に乗用車を製造できるようになります。つまり、日本の優先性や競争力は次第に落ちていくのです。

家庭電化製品を代表する薄型テレビや液晶パネルでも、日本企業の優位性は次第に低下しています。2009年、薄型テレビの世界シェアでは、1位はサムスン電子、2位はソニーとLG電子、3位はパナソニック、4位はシャープの順で、サムスンとLGの韓国企業が36%を占めています(米・ディスプレイサーチ社の調査)。

液晶テレビ、ノートパソコン、モニターに使われている液晶パネルの世界シェアでも、1位はサムスン電子、2位はLGディスプレイであり、韓国の2社で50・9%と過半数に達しています。続いて3位AUO(友達),4位CMO(奇美電)、5位ハンスターと、台湾勢が続き、その合計は42・3%となっています。韓国と台湾で9割を超えており、日本勢ではようやく6位にシャープが入る状況です(米・ウイッツビィユー社の調査)。

今後の液晶テレビ市場を展望すると、中国では中国産ブランドが台頭し、北米や欧州ではサムスンとLGがシェアを伸ばし、BRICsのような新興市場でも韓国メーカーが進出してきます。とすれば、電化製品でも日本の地位は次第に低下していきます

このように、加工貿易を続ける上で、最も基礎となる科学技術にも、すでに限界が現れています。

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2011年1月17日 (月)

加工貿易文明の壁

ところが、世紀をまたぐあたりで、この人口容量は満杯になりました。それは容量を支える内外の条件が変わってきたからです。

1億2800万人もの容量を生み出した「加工貿易文明」の中核は、いうまでもなく日本人の技術力や商品開発力でした。それによって貿易を拡大し、食糧や資源を購入することができたからです。だが、それだけではありません。もっと大きな理由があります。

というのは、20世紀の世界において、一部の工業先進国だけが高価な工業製品を生産し、大半の発展途上国が農業生産を担当する、というアンバランスな国際構造が残っていた、という事実です。こうした環境の下では、工業製品の価格が農産品より必然的に高くなりますから、高い工業製品を売って安い農産品を買うのは極めて懸命な方法でした。

だが、21世紀の世界では、急速に逆転がはじまっています。世界の産業分布を見れば、発展途上国の多くが工業生産を拡大した結果、工業製品が供給過剰になりつつあります。代わって、農産品は工業化に伴う労働力の減少や農業用地の縮小などで、次第に供給不足へ向かっており、それに伴って価格も上昇しはじめています。さらに今後、人口爆発の危険性が高まるにつれて、食糧・資源・エネルギーなどの需給が逼迫し、穀物や石油の価格はいっそう高騰するでしょう。

こうなると、食糧の値段はますます上昇し、21世紀には間違いなく「工業製品安・農業産品高」の傾向が強まります。石油が高騰すれば工業製品の価格も上がる、と思いがちですが、圧倒的な供給過剰のもとでは一時的にすぎず、まもなく沈静化します。その結果、電気製品や自動車を売って、大量の食糧を買うという構造は徐々に不可能になっていくでしょう。

これこそ、私たちの頭上に重くのしかかっている、厚い壁の実態なのですが、これを突破するのはかなり困難です。なぜなら、「加工貿易文明」そのものを支える、3つの要素、つまり科学技術、市場経済制度、グローバル化のそれぞれに、ある種の翳りが見えはじめているからです。

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2011年1月16日 (日)

富国強兵から経済大国へ

この3つに支えられた「富国強兵」制度は、明治、大正、昭和前期と順調に人口容量を伸ばしてきましたが、1940年代に至って太平洋戦争の敗戦により一旦は停止状態に追い込まれました。ところが、1945年以降、人口は再び急増をはじめます。

それを可能にしたのは、科学技術化、日本型市場経済化、グローバル化の3要素を基盤とする「経済大国」という新しい目標でした。このように書くと、「富国強兵」から「経済大国」へと、国家目標が一変したかのようにみえます。だが、そうではなく、「経済大国」を支える基盤は、明治以来の文明開化、殖産興業、脱亜入欧の3大政策を、形を変えて継承したものにすぎません。

第1の文明開化は戦後、アメリカ型ライフスタイルを目標とする生活構造やそれを支える西欧文明への強い憧れとなって、欧米型科学技術の導入に一層拍車をかけました。その結果、1980年代の後半までに、日本は世界最先端の応用型科学技術を誇るハイテク国家となりました。

第2の殖産興業も、戦後はアメリカ型市場経済・経営システムを導入し、それを基盤に独自に改良を加えた日本型市場経済や日本型経営システムを創りだし、世界に冠たる経済力を誇るようになりました。

第3の脱亜入欧は、アジア諸国の目覚しい発展によって「入亜」あるいは「協亜」に変わりましたが、加工貿易体制を維持、拡大していくためには、アジア、欧米はもとより、世界各国と外交や通商を行なうグローバル化が必要、という姿勢に継承されています。

以上のように、戦前の3政策は、「文明開化」は「科学技術」へ、「殖産興業」は「日本型市場経済」へ、「脱亜入欧」は「グローバル化」へとそれぞれ戦後に引き継がれました。そして、この3つに支えられた「加工貿易文明」によって、戦後のわが国は約1億2800万人の人口容量を構築しました(詳細は古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)。つまり、資源・エネルギーを輸入して高付加価値の工業製品を製造し、それらを輸出した収益で食糧・資源を購入する、という体制を作りだし、完全な自給自足であれば7200~7600万人程度の人口容量を、ほぼ2倍にまで拡大することに成功したのです。

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2011年1月15日 (土)

加工貿易文明を支える3本の柱

これまで見てきたように、平成初期の20年間は、それまでの成長・拡大社会が終焉し、飽和・濃縮社会への移行がはじまる、一大転換期の様相を示しています。この背景には、やはり工業現波を支える人口容量の飽和化が潜んでいます。人口容量はなぜ限界に達したのでしょうか。それはこの容量を支える環境や条件が大きく変わってきたからです。

もともと1億2800万人もの人口容量は、企業を中心にする経済主体が、世界中から資源やエネルギーを集めたうえで、科学技術を応用して高価な商品を作り出し、その対価で食糧や資源を調達する、という社会的なしくみ、いわば「加工貿易文明」とでもいうべき文明によって生み出されたものです(詳細は古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)。

この文明は、江戸時代の後期にはじまって、明治維新の後、急速に進展しました。江戸後期に西欧から導入された、初期的な工業国家制度は、明治維新後になると、明治政府が主導した、文明開化、殖産興業、脱亜入欧を支柱とする「富国強兵」制度として、とりあえずスタートしました。

第1の文明開化とは、欧米の先端的な生活様式や科学技術を可能な限り導入しようとするもので、基礎科学、基盤技術、産業技術の3面でめざましい成果をあげました。同時にこれらの技術を応用して農業生産も大きく変貌し、土地改良、肥料の増投と施用法、品種改良、農具の改良・普及などで、国内の食糧生産量を著しく拡大させました。

第2の殖産興業政策とは、西欧の市場経済制度を導入して、近代国家にふさわしい新たな産業を興そうとするもので、これまた短期間に産業革命をなしとげました。1870年代に欧米の制度を導入して生み出された〝会社〟という組織は、90年代の日清戦争前後に繊維・紡績工業を中心とする軽工業部門と、政府主導による鉄鋼業などの重工業部門に分かれて、それぞれ産業革命をなしとげます。1900年代初頭の日露戦争の後、造船、金属、機械工業などへも波及し、10年前後に全産業での革命を達成しました。

そして第3の脱亜入欧とは、当時、後進地域であったアジアを脱し、先進地域であるヨーロッパの国々と肩を並べようとするもので、鎖国体制が終わった後の国際感覚を明確に示しています。

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2011年1月14日 (金)

平成10年代の社会と世相

平成10年代に入ると、外需主導のいざなみ景気で経済はやや回復したかに見えましたが、デフレ基調は相変わらず続き、08年以降は世界同時不況の影響を受けて、再び深刻な不況に陥りました。

こうした経済環境にもかかわらず、インターネットを中心とする情報化は急速に進行しました。21世紀のコミュニケーションツールとして、急速に定着したインターネットでは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、ブログ、ツイッターなどの新サービスが登場し普及しました。一般家庭でも、DVDレコーダー、デジタルカメラ、液晶テレビが「デジタル三種の神器」として定着し、著しく多機能化した携帯電話も、年齢層を超えて拡大しました。

ところが、経済停滞が深刻化するにつれて、自由競争と市場原理を重んじる小泉改革の影響が浸透し、急速に進展した格差拡大のマイナス面が目立つようになりました。ヒルズ族に代表される新富裕層が台頭する一方で、派遣社員やネットカフェ難民など、ワーキングプアも増加しました。正社員でも、給与の減少や過度の人員削減などで、過労死や過労自殺に追い込まれるケースが拡大しました。

追い詰められた人々の中には、異常な犯罪に走るものも現れ、土浦連続殺傷事件(平成20年=2008)岡山駅突き落とし事件(同)、秋葉原通り魔事件(同)、大阪市パチンコ店放火事件(平成21年=2009)などが起きています。青少年の犯罪も増加し、西鉄バスジャック事件(平成12年=2000)、東名高速バスジャック事件(平成20年=2008)が発生しています。

幼児や高齢者など弱者を対象にした犯罪も増加しました。高齢者を狙った振り込め詐欺が各地で多発し、高齢者虐待防止法に違反する現行犯も増えています。小学生を対象にした、京都小学生殺害事件(平成11年=1999)、大阪教育大附属池田小児童殺傷事件(平成13年=2001)なども相次いで発生しました。

いずれの現象にも、人口容量の壁に突きあった環境下での、閉塞感や焦燥感が濃厚に現れています。

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2011年1月13日 (木)

平成10年代の政治・経済

平成10年代(1998~2007年)に入っても、経済の停滞は遅れ、政治もまた混迷を続けていました。

平成11年(1999)3月、小渕恵三内閣は、景気回復対策として、日本銀行がゼロ金利政策を実施しました。平成12年(2000)4月、小渕の急死で、森喜朗が内閣総理大臣に指名されましたが、内閣支持率が低迷し続けたため、平成13年(2001)2月に森は首相を退陣しました。

平成13年(2001)4月、小泉純一郎内閣が発足しました。この年の9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生し、国際情勢は大きく動揺しました。平成14年(2002)9月、小泉は日本の首相として初めて訪朝し、金正日総書記に日本人拉致問題を公式に認めさせ、同年10月に拉致されていた日本人5人が帰国しました。

平成17年(2005)から、人口が減りはじめました。その年の夏、小泉の進める郵政民営化法案に反対して、自由民主党を脱退した議員らが国民新党や新党日本などを結成しました。だが、9月の衆議院議員総選挙で、自由民主党は296議席と記録的に圧勝し、与党は衆議院の3分の2を超える議席を獲得しました。これに勢いを得て、小泉政権は10月、日本道路4公団の民営化や郵政民営化関連法案を成立させました。

平成18年(2006)9月、小泉の任期満了で、安倍晋三が内閣総理大臣に指名されましたが、平成19年(2007)7月の参議院議員選挙で自民党は大敗したため、9月、安倍は内閣総理大臣を辞任しました。続いて福田康夫が内閣総理大臣に就任しましたが、支持率低迷のため、平成20年(2008)9月、辞意を表明しました。

この年の9月16日、アメリカ証券会社大手リーマン・ブラザーズの経営破綻に伴い、いわゆるリーマンショックが発生しました。9月24日、麻生太郎は内閣総理大臣に指名され、12月12日、総額23兆円規模となる緊急経済対策、『生活防衛のための緊急対策』の概要を発表しました。しかし、経済は急速に悪化し、国内総生産の実質成長率はオイルショック以来、34年9ケ月ぶりのマイナス3・7%に低下しました。

平成21年(2009)8月、衆議院議員総選挙で、自由民主党は結党以来の大敗を喫したため、民主党・社会民主党(社民党)・国民新党の3党連立政権が発足し、9月16日、民主党党首の鳩山由紀夫が内閣総理大臣に就任しました。しかし、経済はほとんど回復せず、09年の国内総生産はマイナス5・2%となりました。

平成22年(2010)6月、鳩山内閣は、政策秘書の政治資金規正法違反事件や米軍普天間飛行場移設計画への失政で退陣し、代わって民主党党首に就いた菅直人が、内閣を組織しました。

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