カテゴリー「5章 2020年代は新田沼時代」の記事

2011年5月16日 (月)

加工貿易体制を見直す

以上のように見てくると、2020年代の日本において、新田沼政権が取り組んだのは、加工貿易体制の限界化という、人口容量の制約を改めて見直して、いかに最適な社会を創り出すか、という課題であった、ともいえるでしょう。

 この体制は、科学技術、市場経済制度、グローバル化の3つの要素によって支えられていますが、その1つひとつを最適化する方法を、より広い視点から再検討したのだ、といってもいいでしょう。

科学技術については、モノとしての進化を超えて、コト=情報としての進展を重視し、市場経済制度については、それが切り捨ててきた象徴制度を改めて復活させ、両者の並立によって、社会や経済を安定化させようとしました。

 そして、グローバル化についても、素朴なグローバル化信仰を脱して、利害得失を徹底的に考慮した、選択的グローバル化へと、外交の舵を切り替えています。

その結果、新田沼政権は、加工貿易国家を成熟させることによって、経済と生活、生産と消費、文明と文化、トップとボトムのバランスの取れた、近代工業文明国家の完成をめざしました。

 一言でいえば、それは「ラストモダン」社会の構築でした。近代の後にくる「ポストモダン」へ向かうのではなく、近代を完成させる「ファイナルモダン」へと進んでいったのです。

もっとも、その全てが達成されたのではなく、目的半ばで頓挫したものも少なくありません。2020年代後半になると、天明期(1781~88)以来の太陽活動の低調化による寒冷化火山の爆発大地震など、さまざまな自然災害が多発するようなり、それぞれへの対応に追われて、政策推進力が滞り、リーダーシップも衰えていったからです。

しかし、新田沼政権が火をつけたラストモダンは、もはや後戻りすることはなく、文化を成熟させ、情報化を深化させていきます。そうなると、工業現波を支えてきた、従来の世界観が次第に革新され、やがて次の波動を生みだす、新たな世界観が生まれてきます。

 そして、その世界観が資源やエネルギーの新しいつかみ方や使い方を見つけだした時、21世紀後半の日本は、さらに世界は、新たな人口波動に向かって再び動きだすとになります。

その世界観とはどのようなものなのか、その波動とはいかなるものになるのか、これについては、次の6章でざっと展望してみましょう。

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2011年5月13日 (金)

文化とアートの時代へ(その2)

第2は濃縮化。従来の拡大志向に対して、2010年代の生活様式では濃縮志向が強まりました。

 江戸中期の濃縮志向は、最終的には印籠や根付といった、極小の文化を生み出しましたが、21世紀の日本でも、印籠は携帯電話に、根付はストラップに、それぞれ変身していました。

この延長線上で、エレクトロニクスを応用した極小坪庭、バイオテクノロジーを応用した新華道、ナノテクノロジーによる超小型図書館など、拡大化よりも極小化をめざす新技術が進展し、新たな機能を持った商品を創り出すとともに、感性の革命を引き起こすようなミニマムアートを生み出しました。

第3は深層化。人口減少期の文化は、ルネサンス後期や明和~天明文化に見られるように、表面的な美しさよりも心の深層の潜む、葛藤や静けの方へ、より関心を移していきます。人口容量の制約が強まる以上、外部への拡大よりも自らの内部への深化の方に関心を移していくからです。

すでに2010年代から、サブカルチャーの世界では、宮崎駿のアニメ映画『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』など、あるいはコミックやゲームの世界でも、古くからの神話、伝説、昔話、お伽話などを積極的に活用した作品が増加し、すでにいくつかのヒット商品も生まれていました。

これらの背後にあるのは、C・G・ユングの指摘した集合的無意識への回帰です。集合的無意識とは、1人ひとりの個人を超えて、日本人とか中国人とかいった集団の心の底に潜んでいる無意識的な願望のことです。通常は意識されていませんが、夢や神話やおとぎ話などの形をとって、不意に私たちの前に現れてきます。

2020年代には、このような深層文化がいっそう拡大し、精神分析や宗教的方法、五感や六感を解放する手法など、いわゆる深層心理的な次元にまで広がって、日本の文化状況を色濃く彩るようになりました。

 以上のように、2020年代の文化やアートでは、爛熟化、濃縮化、深層化といったトレンドが浮上してきました。3つのトレンドこそ、人口減少が定着していく時代を象徴する、最も基本的な感性であった、といえるでしょう。

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2011年5月12日 (木)

文化とアートの時代へ(その1)

以上で見てきたように、新田沼政権の諸政策は、従来の社会・経済政策の常識を超えた、大胆な発想の下に展開されました。

 これによって、「平成明天」あるいは「新元明天」の日本は、平成前半の不機嫌な時代をなんとか脱して、同じように人口減少期であった平安期や江戸中期に匹敵するような、豊穣な文化を開花させました。
この時代には、さまざまな文化や新たなアートが生まれましたが、特に強まったのは3つのトレンドでした。

第1はいうまでもなく爛熟化。爛熟化というと、華麗で頽廃的なムードを思い浮かべがちですが、現代文化についていえば、科学技術文明の最先端を遊びやアートなどに応用していくことでした。

 例えば、家電やパソコンに代表される生産技術を、利便性や快適性といった本来の目的を超えて、新たな遊び道具に変えたり、その延長線上で新奇なアートに昇華していったのです。

こうした傾向は21世紀の初頭からはじまっており、IT技術は「ニンテンドーDS」や「Wii Fit」のような遊具を生み出して、家電商店街であった秋葉原を、日本一のホビー街、否、世界一のホビーカルチャーのに変貌させました。

 また若者文化には、コミック、アニメーション、ゲームの、 “コアゲ”文化ともいうべきものが広がって、アートの世界にも強く影響を与えました。現代アートの最先端に立った草間弥生、奈良美智、村上隆といったアーティストたちは、コアゲ文化の表現手法を積極的に取り入れて、幼さ、カワイイ、萌えといった心象風景を作品化し、国際的にも大きな注目を集めました。

かくして、21世紀の日本文化は、20世紀以来のコアゲ文化を継承しつつ、さらにIT技術を駆使して、日本の伝統や精神を再現することにより、日本発のネオ・ポップ・カルチャーとして育っていきました。

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2011年5月11日 (水)

第10政策=都市・市民の暮らしを再構築する(その2)

第2の対策は、中心商店街の再生でした。人口の都心・市心回帰に伴って、衰退の一途を辿ってきた中心商店街にも復活のチャンスが巡ってきました。

 戻ってきた市民の多くは、大量のものを週間単位で買いだめするより、新鮮なものを毎日少量買う傾向を強めていました。また急増する老年層では、郊外の大店舗へ車で行くより、交通の便のよい駅の周辺や中心部で商品を購入する顧客が増加していました。

こうした需要に的確な対応をすれば、中心商店街も再生できます。そこで、新田沼政権は、ブロックやストリート全体の法人化や協同組合化を促進し、ハード面ではショッピングモール化やショッピングセンター化をめざすとともに、ソフト面では他の商店街と連携した仕入れの共同化や産地農業組合などとの連携策を進めました。

 また個々の商店にも、伝統的な小規模商店としての特性を最大限に活かした〝象徴〟的な戦略を勧めました。例えば永続的な顧客を作る対面販売、きめ細かな仕入れ方式、濃密な人間関係など、大手流通業があえて切り捨ててきた〝商い〟の原点を再構築していったのです。こうした政策によって、都心部の商店街にも再生の可能性が見えてきました。

一方、郊外では人口が急減し、次第に衰退していく地域が目立ってきます。これに対応して、新田沼政権は、新たな郊外都市構想を実現していきました。その中核は、都心・市心通勤者のための住宅都市から、彼らが週末に住み着く週末都市への移行でした。

社会の濃縮化に伴って、ウィークディーは都心部のマンションに住んで仕事をし、週末は郊外の1戸建てで園芸、家庭菜園、スポーツやアートを楽しむというダブルハウジングが急増しました。

 あるいは狭い都心住宅を嫌って、郊外の広い住宅を求める層も増えましたから、既存の共同住宅やアパートメントなどは、複数の部屋を統合して、面積の広い部屋に改造しました。

 さらにはさまざまな家族が一緒に住むシェアードハウジング、1つの家族が複数の住居を利用するプルーラルハウジングなど、さまざまな共同生活も広がりましたから、それに見合うように、既存のストックを有効に活用しました。

 以上のような都心・市心政策や郊外政策は、公的部門だけで実現できたのではありません。地域社会から発生してくる、さまざまな生活需要への対応については、民間企業やNPOなどの私的部門にも、一定の役割分担が期待されました。

 そこで、新田沼政権は、官民の壁を超えた、総合的な対応によって、地域の社会力をあげていったのです。

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2011年5月10日 (火)

第10政策=都市・市民の暮らしを再構築する(その1)

第十は都市やそこに住む市民層への対応でした。

 2020年代には、ほとんどの地域で人口が減っていましたが、東京、大阪、名古屋の中心区域、札幌、仙台、福岡などの地方中枢都市、各県の県庁所在都市については、なおも人口が微増するとともに、都心・市心回帰の流れが強まっていました。これに伴って、一方では都心・市心部の再構築が、他方では郊外の再生が、都市づくりの新たな課題に浮上しました。

都心・市心へは、全国的な人口減少で地価が低下しましたから、それまで郊外へ逃げだしていた市民層が一斉に戻ってきました。彼らは、従来の郊外型を脱して、都心型の新たなライフスタイルを形成しました。

 職住接近ですから、過酷な通勤電車は不要となり、徒歩や自転車通勤が可能となりました。生活と仕事の間にゆとりが生まれ、遊びや学びの時間や空間も増えました。アフターファイブにコンサートや観劇に行っても、20~30分で帰宅できますから、ようやくヨーロッパなみの成熟した暮らが可能になりました。こうした現象は3大都市からはじまって、2020年代には地方中枢都市や県庁所在都市にも広がりました。

そこで、新田沼政権が打ち出した、第1の対策は、地方都市の「コンデンス・シティー」化でした。コンデンスとは「拡大した人口容量を減っていく人口で徹底的に活用する」という理念ですが、都市計画でいえば、「これまでに拡大した都市域を、減っていく人口で限りなく活用し、1人当たりの利用空間をさらに拡大していく」ということでした。


 
長期的な視点に立って、中心市域を一定以上に広げない。都心部への過剰な投資を避けるため、既存のストックをできるだけ再活用する。郊外のストックを活かすため、ダブルハウジングや日曜農業などに利用する、というものです。

 これを実現するため、公共施設から民間施設まで、既存の施設を新たな目的に見合うように、機能やデザインを徹底的に変換し、有効に再利用するためのノウハウやシステムを作り出しました。またそうした転換を都市計画の責任者はもとより、建設業・設備業、さらには流通業にも求めました。

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2011年5月 9日 (月)

第9政策=農山漁村・過疎地を活かす

第9は農山漁村や過疎地への対策でした。2020年代になると、全国各地に点在する村落が、最終的な人口減少過程に入り、消滅の危機に追い込まれました。

こうした危機は、21世紀の初頭から予想されており、2007年には国土交通省が「国土形成計画策定のための集落の状況に関する現況把握調査」を行っています。

 それによると、自治、防災、生活道路の管理、冠婚葬祭などの集落機能が著しく低下した、いわゆる「限界集落」が、全国ですでに約9000を超えており、今後10年以内にさらに約430が加わり、最終的には1万1000を超えるものと予測されていました。

このため、同省では、集落の実態や現状に即した社会的サービスの提供を、地域住民、民間事業者、NPOなど連携して維持するとか、隣接集落との統合や機能的分担などで集落機能を維持・再編等を検討する、あるいは長期的な国土利用・保全の観点から農林水産業の振興、伝統文化や産業の保全、医療・福祉・教育のあり方などを、各省庁が連携して検討する、といった対策を打ち出していました。

しかし、これらの対策はほとんど効果を現さず、その後10数年を経て、過疎地や限界集落はますます増加し、消滅していく村落も急増するようになりました。そこで、新田沼政権は、①最小生活共同体の保存・再生、②伝統・風習・習俗など〝象徴〟制度の維持・保存という、2つの視点から改めて過疎地対策に取り組んでいきました。

第1の政策は、行政機関が中心となって、過疎地や限界集落の近隣に、集落機能が保持可能な地域を設定し、その場所へできるだけ住民を集約することでした。過疎化や老年化がさらに進んでいく以上、行政が責任を持って生活基盤機能を提供していける地域内に、まとまって移住してもらうのが最良の方法と考えたからです。

とはいえ、住み慣れた集落を捨てて他地域へ移り住むのは、住民にとっては忍びがたいものでした。暮らしの利便性や安全性が保障されたとしても、田畑が荒れ、住まいが廃屋になるのは耐えがたく、理性的に理解できたとしても、感情的には抵抗が強まりました。

このため、第2の政策として、過疎地の再利用を推進し、農山漁村の存在価値を再確認する諸政策も展開しました。具体的には、離村住民を中心に、旅行業や教育産業などの民間企業やNPOやボランティア団体などとも連携して、新たな廃村活用組織を設立し、総合的な対策を打ち出していきました。

主な内容は、①不住民家について、山村体験施設、長期休暇用施設など、さまざまな活用法を拡大する、②都会や近隣都市の市民に向けて、ダブルハウジング住居、体験施設、宿泊施設などの利用法を拡大する、③物理的な側面から廃村の保存や空き家の修繕や改築も行うとともに、貸借や売買の双方の対象者に対して、契約・利用条件のアドバイスや履行の保証など、適切な斡旋を行う体制を整える、などでした。

とりわけ体験施設の運営では、伝統的共同体の持つ、さまざまな暮らしのしくみを、児童や学生、あるいは社会人や企業人に追体験させることで、望ましい互酬制度の方向を考えさせる、新たな教育機関として、積極的な意味づけを行いました。

これらの政策によって、新田沼政権は、急拡大していく過疎地問題に1つの方向性を与えっていったのです。

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2011年4月28日 (木)

第8政策=地方・地域を再建する

第8は地方・地域の再建策でした。2020年代に入ると、総人口はピーク時の5~10%ほど減り、沖縄県を除くすべての都道府県で減少しました。

こうなった以上、いずれの都道府県にも、人口減少がもたらすマイナス面を克服し、さらにはプラスに変えるといった、逆転の発想が求められます。例えば平均年齢の上昇を積極的に受けとめる生活様式や、地価の低下や宅地のゆとりを大胆に活用する都市政策など、人口減少がもたらす利点を積極的に活用する地域作りが必要になったのです。

そこで、新田沼政権は、公共的な地域行政はもとより、民間部門の都市開発、住環境整備、生活支援などにも、思い切った政策転換を求めました。その目標の中核は、①人口減少地域の安定化、②地域生産力の維持、③地域需要の維持の3つでした。

第1の人口減少地域の安定化では、「人口が減っても快適で充実した暮らしが可能な地域社会」を実現するため、取り組むべき課題を改めて明確化しました。

 例えば、労働力減少や老齢化による生産力の低下、消費人口減少による商業・サービス業の衰退などの産業面、税収減少、過疎地拡大、公的生活支援サービスの縮小などの地域経営面、若年層減少、友人や競争相手の減少、コミュニティーの縮小、防災・防犯力の縮小などの生活面です。

そのうえで、新田沼政権は、巡回市場や巡回介護などの新制度を新設し、地域社会やコミュニティーを維持する、基礎的な対応を行ないました。また公的部門、民間部門、NPO、地域コミュニティーなどの役割分担を明確にしたうえで、需給両面からそれぞれの組織の取り組むべき課題を抽出し、多様な対応戦略を指導しました。

第2の地域生産力の維持では、生産人口の減少や老齢化による労働力の劣化に対応して、まずは労働生産性の維持・向上に努めました。地域内の企業や団体に対して、ロボットやFA、パソコンやOAなどの最新機器の導入を支援するとともに、従業員や未雇用者のオペレーション能力の教育・指導サービスを強力に実施しました。

また、新たな値打ちを持った商品やサービスを創り出せる創造生産性の開発・向上をめざして、カラー、デザイン、ブランド、ネーミング、ストーリーなどの創作能力はもとより、新たなライフスタイルや生活価値観を生み出せるような教育指導機関を、民間部門やNPOなどにもよびかけて、都道府県ごとに新設しました。

これら2つの生産性向上対策は、地域労働力の質的水準を維持しただけでなく、中堅・中小企業、地場産業企業、地元密着型の生活サービス企業などが、それぞれの生産力や商品企画力を向上させ、雇用力を維持・拡大していくうえでも、大きな役割を果たしました。

第3の地域需要の維持では、地域密着企業としての優位性を活かして、人口減少地域から新たに発生してくる生活需要や心理需要をきめ細かく汲み上げ、人口増加時代とは異なる対応方法を創出したうえで、全国的に波及させました。

例えば、少産化に伴う新需要(育児知識の伝達を求める声やベビーシッター、育児支援サービスの充実など)、長寿化で広がる新需要(家事・買い物代行、食事宅配、在宅介護など)、家族の縮小や多様化が引き起こす新需要(住居の小型化、ハウスシェアリングやコレクティブハウスなど新居住方式への需要など)は、大型店や全国ネット企業の対応を越えるものでした。

 このため、家族経営企業や商店街、NPOや生活協同組合など、地域密着企業を中心とする、きめ細かな対応を促進しました。

以上の3つの政策によって、新田沼政権は、企業誘致や補助金支援といった、従来型の地域産業振興を超えて、2020年代にふさわしい地域生産力の充実に努めました。

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2011年4月26日 (火)

第6政策=新しい産業を振興する

以上のような短期的な政策を打ったうえで、新田沼政権は第6の課題として、新たな産業の創造へ向かいました。

 長期的な内需の縮小や国際分業の進展に対応していくには、特定分野の集中的育成が必要でしたから、次の3つを重視しました。

第1はいうまでもなく、ハイテクの進展と応用による新商品の開発でした。エレクトロニクス、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、新素材、自然系エネルギーなど、21世紀中葉に急速に進展する新技術を徹底的に応用し、新たな用途や値打ちを持った商品の創造を奨励しました。

 とりわけ重点を置いたのは、モノそのものの物質的価値を超えて、電子や遺伝子などによる“情報搬送装置”としての値打ちを重視することでした。つまり、〝コト〟的な商品の創造と開発に、産業構造の比重を移行させていったのです。

第2は人口減少社会から、新たに発生する、さまざまな需要分野に向けて積極的に対応する産業を育成しました。

 例えば、少産化に対応する出産・育児支援・教育産業、長寿化に対応する健康・能力維持や介護・医療産業、人口分布の変動に対応する住宅・都市関連産業や生活サービス関連産業、さらには食糧・資源・エネルギーの自給率や安定供給を高める産業、環境の保全や改良に関わる産業といった分野を積極的に応援しました。

第3は、第3政策で触れた選択品分野であり、2020年代の生活社会にふさわしい生活価値観やライフスタイルに対応した、新しい心理産業の育成でした。

 人口が減少し価値観が成熟してくると、「基本財よりも選択財を」「ファーストライフよりスローライフを」「拡大志向より知足志向を」というように、従来の成長・拡大時代とはいささか違った生活様式が浸透してきます。これを先取りして、未領域分野の産業を創り出し、より有力な産業に育てあげることでした。

具体的にいえば、第4政策の〝コト〟商品群に加えて、ヨーロッパのシンプルライフやスローライフの延長線上で生まれる、日本型の「知足生活」型商品、身体や五感の鋭敏化に対応する官能型商品、神話や呪術など象徴的な需要に応えるスピリチャル商品、少なく生まれた人間が「太く長い人生」を生きていくための学習や鍛錬あるいは遊戯や娯楽に関する産業などです。

 こうした分野の拡大は、産業の重心がモノ中心の「必需〝品〟」分野から、ココロ中心の「必需〝心〟」分野に向かっていくことを示していました。

新田沼政権は、これら3分野の育成によって、国内市場を維持するとともに、海外に対しても、第7政策で述べるように、新たな商品やサービスとして積極的に輸出していきました。

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2011年4月25日 (月)

第5政策=非工業製品を安定させる

第5の課題は、食糧・資源・エネルギーなど、非工業製品の価格高騰や乱高下に対処することでした。

 2020年代の日本では、工業製品の価格低下とは逆に、非工業製品の価格が高騰する「工品安の非工高」の傾向が強まります。

現在67億人を超えた世界人口は、2030年代に80億人、2050年代に90億人を超えていきますが、先進国の大半ではすでに減少がはじまっていますから、今後増えていくのはほとんど新興国です。

 これらの国々の人々が、先進国の生活水準をめざす以上、人口が増えれば増えるだけ、食糧、資源・エネルギーなど生活基礎財の需要も急増します。

そうなると、2020年代の中ごろには、食糧、資源・エネルギー、水など、生活基礎財の需給バランスが次第に苦しくなり、供給不足や価格高騰が進みます。最悪の場合は、これらの争奪をめぐって、地域紛争や大規模な戦争が勃発することも予想されます。

最悪の事態に対処するため、新田沼政権は、生活基礎財を確保するための諸対策を多面的に展開しました。食糧対策については、自給率の極めて低い日本で、冷夏や干ばつによる凶作、戦争や疫病による輸入ストップ、有害物質の混入など、不測の事態が十分予想される以上、最低限必要な食糧を確保する「食糧安全保障」の確立が急務になります。

そこで、新田沼政権では、協同組合や非営利組織を主体とする農業法人を拡大し、国産食糧の増産を図るとともに、海外の食糧量産国と優先的な互恵関係を進展させました。これによって、食糧の量的確保を図るともに、安全性・安定性などの品質向上や、消費者を安心させる農産物の生産体制をめざしました。

 同時に広く国民によびかけて、米を中心に多様な食品をバランスよく採る「日本型食生活」のいっそうの拡大を図り、無駄に食べ残され、廃棄される食品をできるだけ減らす努力も求めました。

エネルギーについても、今後もなおも中心となる石油の価格が、低コストで採掘できる量の減少につれて、必然的に上昇していきます。もし原油高や円安が進行すれば、2020年代にはガソリンや灯油の価格が、現状の2~3倍になる可能性は十分にあります。

 こうした事態に備えて、新田沼政権は、資源・エネルギーの有効活用や代替エネルギーに関する、さまざまな対応政策を多面的に採用しました。また国民各層に対しても、生活財に関わる商品やサービスで、省エネ・省資源を推進する国民運動への参加を求めました。


また急速に枯渇する水資源についても、水の有効利用をめざして、家庭用水循環システム、節水型浄水機、湯水有効利用型風呂、節水型浄水シャワー、住宅用雨水利用システム、簡易淡水化装置といった節水型商品の拡大を推進するとともに、節水関連や水資源開発に関わる新産業を積極的に育成しました。

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2011年4月22日 (金)

第4政策=インフレを誘導する

デフレ克服のため、新田沼政権は、もう一つの政策を打ち出しました。第4のインフレ誘導策ですが、そこにはデフレ克服とともに、政府債務の低減も視野に入っていました。

第3政策で述べたように、2020年代には、一方でデフレ傾向が進み、他方では政府債務の増加が予想されます。これを克服する、新たな経済・金融政策として、インフレ誘導策の採用が検討課題に浮上してきました。

実をいうと、江戸中期にも幕府が貨幣悪鋳という手法によって、同じような政策を行っていました。その目的は、①出目(改鋳差益)によって、幕府の歳入を増やす、②通貨流通量の増加で金融を緩和し、実物経済を活性化させる、③貨幣価値を落として、米価を上昇させる、④インフレを促進して、幕府、藩、武士層の借金を長期的に軽減する、の4つでした。このうち、直接的には①や②が目標とされましたが、間接的には③や④の効果も生み出しています。

こうした貨幣悪鋳を、そのまま現代へ置き換えるのはかなり乱暴な話ですが、敢えて適用してみますと、中央銀行が通貨の供給量を増やして、貨幣価値を落とすことに相当します。

 となると、予想される効果としては、①増加した通貨で公債を購入し、政府債務を先延ばしにする、②通貨流通量の増加で金融を緩和し、実物経済を活性化させる、③通貨流通量の増加で貨幣価値を落として、物価を上昇させ、デフレを解消する、④インフレを促進して、政府・地方自治体、企業、多額負債者層の債務を長期的に軽減する、という4つが考えられます。

そこで、新田沼政権は、デフレの克服や経済の活性化をめざして、通貨の増量によるインフレ誘導策に出ました、もっとも、それだけには頼らず、同時に実物経済の拡大策も進めました。2020年代の日本では、人口減少による需要縮小と工業製品の供給過剰がある限り、金融政策オンリーで物価を上げ、経済を活性化させることは困難と見たからでした。

 このため、もう一方では、第4政策で述べたような、新選択品の創出政策で需要そのものを拡大させ、実物と金融の両面からデフレ克服に対応していったのです。

また長期債務対策としては、その実施によってマイナス効果の出る年金受給者や給与生活者などを救済するため、物価変動に比例して年金額を改定する「物価スライド制」の強化や急速な物価上昇を抑制する「インフレターゲット」制の厳格な適用などを併用しました。

 さらに「止め処なきインフレ・スパイラル」を避けるため、細かく期間を区切って、注意深く通貨増量を実施していきました。

 このように新田沼政権の金融・財政政策は、市場経済制度の持つ、通貨・金融のからくりを徹底的に利用する方向で展開されました。

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